上越市議会 2022-09-21 09月21日-05号
お盆で久しぶりに家族が集うといった和やかな世間のムードとは別に、家族や親戚が訪れてきても、万一に備えて、自分だけ会食ができず、独りで食べていたという看護師の友人の話を聞くと、大変胸が痛みました。自分の私生活を犠牲にしても職務を全うするエッセンシャルワーカーの皆様におかれましては、心より感謝とねぎらいと敬意を表するところです。
お盆で久しぶりに家族が集うといった和やかな世間のムードとは別に、家族や親戚が訪れてきても、万一に備えて、自分だけ会食ができず、独りで食べていたという看護師の友人の話を聞くと、大変胸が痛みました。自分の私生活を犠牲にしても職務を全うするエッセンシャルワーカーの皆様におかれましては、心より感謝とねぎらいと敬意を表するところです。
そういう極限の状態であれば、ある意味ストップできるかもしれませんけれども、国民の移動する自由ということは、これは保障されているわけでありますので、今のところおかげさまで実態を見る限りにおいては、月岡温泉にも県外からおいでいただく人は割合的に少ないということでございますので、大変そのことがよかったのか悪かったのかはともかくとしても、それでも県内の皆さん方においでいただいて、満館になっているということで、大変胸
確かに建物としての文化的な価値は非常に高いわけでありますけども、むしろ利活用することによって、そういうことの維持がかえってできるんですよというようなお話をいただいたので、大変胸を安堵したことも覚えておりますけども。
それでも大きな惨事まではいかない、前に一応引いてくれて、大変胸をなでおろしているところであります。
○市長(会田 洋) 今ほども申し上げましたが、先日、福島の現場、発電所、それから、周辺の市町村の現地も見てまいったわけでございまして、発電所の中もそうでありますが、このJヴィレッジからですね、福島第一原発へと続く、この道中で、事故後、そのまま放置をされた住まい、あるいは、農地等ですね、事故時との状況、時がとまったままの町並みを目の当たりにして、大変胸に強く迫るものがあったわけでありますが、今お尋ねのですね
それを私は喜んで聞いているかといったら、喜んで聞いていないわけで、大変胸の痛い思いをして聞いております。なぜなら市職員が一生懸命頑張って働いている姿を毎日見ているからであります。
市町村に実施義務を課し、市町村はその判断で子どもたちの就学援助に関する事務を行っているわけですけれども、財政の厳しい自治体では縮小する方向も出ているという大変胸の痛むような報道もあります。その中で長岡市は、米百俵のまちを標榜するだけあって本当に努力をしているなと私自身も感じているところです。
既に人数等もマスコミで明らかになっていますが、直接の関係者の皆さんの心労を思うとき、大変胸が痛むわけであります。あわせてこうしたリストラの動きが管内の他の企業にも広がるのではないかと大変心配をしております。 そこで、1点目は、こうした大手製造業の事業再編による当市の雇用への影響について、どう分析されておられるのかお聞きをいたします。
であれば、大変胸を張って言える施策だろうと思いますけれども、この予算の使途、三百数十万円でしたか、これは人件費でしょうか。もちろん事務所はこの役所の本庁の中にあるんでしょうから、事務所費としては使われていないだろうと思います。そこら辺の予算の使途、目的だとか、あとこの事業は今年度実施されるわけでありますけれども、今後はどのように考えていらっしゃるのかお聞かせください。
市場というのが、その土地のことを知りたければまず市場に行けというふうに全国的に言われておるわけでございますが、時を超えて長い時代、文化として受け継がれてきた朝市は、その地域の生活の一部でありますと同時に、訪れる皆様方にとっては大変胸躍る楽しみを提供してくれる場所なのではないかというふうにも思っております。
こうしたとも補償制度の基本的な考え方を考えますと、大規模農家への配分率を変えることは、そのとも補償制度の原則に反することにもなりますので、中村議員さんからの御指摘もよくわかりますし、また、一生懸命専業として大規模に拡張しながら、頑張ってきていただいている個々の農家の方々のことを思いますと、大変胸の痛むことでもありますけれども、今のところ、市といたしましては、規模の大小にかかわらずですね、一定率の配分
相変わらず鵜川の方々の頑張りを目の当たりにして、大変胸を熱くしたというか、いつものことながら感動してきたわけでありますけども、そういう鵜川の方々の頑張りも思い浮かべながら、答弁をさせていただきたいと、こう思っております。 最近、中山間地域という言葉がよく使われておりますけれども、多分多くの方、特に都市に住む人は、こういう言葉さえ知らないのではないかと、こう思っております。